『トランスジェンダーになりたい少女たち』アビゲイル・シュライアー 1

「ルーシーはもともと”女の子らしい女の子”だったと母親は断言した。幼い頃はふだんからハイヒールを履いてフリル付きのワンピースを着たがり、ビーニー・ベイビーズと、ウサギ、スナネズミ、インコなど可愛がっていたペットたちにかこまれた部屋で寝ていた」

 

「ルーシーを引き込んだ、言うなればほんとうのドラッグは、新たなアイデンティティを得られるという期待だ。髪を剃りあげ、男物の服を着て、新たな名を持つのは、女性から男性へ生まれ変わる洗礼式のようなものだった。 次の段階は―本人が望むなら―通称”トップ手術”、すなわち両乳房の自主切除となる。」

 

トランスジェンダー・アクティビズムで彼らのためと主張されていることの多くは、本人たちの言いぶんではないし、本意でもない。この人々は作今の十代の少女たちを苦しめているトランスジェンダーの大流行とはほとんど関わりがない。」

※ここでいう本人たちとは、幼少期から性別違和のある性同一性障害者のこと。

 

「少女が苦悩しているのは事実だとしても、心理学的に必要不可欠なことより励ましや助言に左右されがちな自己診断はどうしても誤りやすい。30年前なら、そうした少女たちはやせ細りながらも脂肪吸引を望んでいたのかもしれない。20年前だったら、現在トランスジェンダーだと自認する十代が、幼い頃のトラウマのせいで抑圧されていた記憶を”発掘”していたのかも知れない。このところ大流行している診断名は、悪霊の憑依ではなく、”性別違和(ジェンダー・ディスフォリア)”だ。」

 

「かつては性同一性障害と呼ばれていた性別違和は、自身の生物学的な性別にはげしい不快感をいだきつづけるのが特徴だ。」

 

「そのような状態に悩まされるのは歴史的に見て全人口からするとごくわずかな人々(およそ0.01パーセント)で、ほとんどが男児だ。」

 

「この十年で状況は激変した。西欧諸国では、性別違和を訴えて、”トランスジェンダー”を自認する思春期の少女たちが急増している。医学史上初めて、そのように自認する人々のなかに女性として生まれた少女たちが現れただけでなく、全体の大きな割合を占めるようになったのだ。」

 

「それまで違和感を覚えたことはなかったのに、学校やインターネットで過激なジェンダー思想(イデオロギー)に触れて傾倒した十代の女性たちがもてはやされている。そうした少女たちの後押しをしているのは、同世代の仲間たちのみならず、セラピスト、教師、インターネット上の著名人たちだ。だが、そんな若さゆえの暴走の代償はピアスの穴やタトゥーではない。肉体のおよそ450グラムもの切除だ。」

(ここまで序章)

 

「文句のつけようのない容姿であっても、十台の少女といのは自身の身体を―ほかの少女の身体についても―残酷なほど厳しい目で見る。そこにきていまはSNSが顕微鏡を提供し、足し算引き算を行う。」

 

「彼女たちは不安定な自分と、SNSで理想とうたわれている魅惑的な女性とのあいだには、危険で深い溝があると悟っている。そして、その溝を埋めるのは不可能だと感じている。」

 

「サーシャ・アヤドはわたしにこう説明した。「わたしのところに来る女性の患者はみな、こういったことを言います。『男になりたいと思っているかどうかは自分でもわからない。ただ女でいたくないと思っているのは確かなの』と」」

 

「母親たちに知らせず、許可も求めず、ジュリーの担任教師をはじめ教職員や友人たちは全員、ジュリーの願いを聞き入れ、彼女を男子生徒として扱い、ジュリーが選んだ男性名で呼びはじめていた。ジュリーは一種の二重生活を送りだしたのだ。」

 

「8歳から19歳の若者は、性スペクトラムにおいて自分がどこに位置するかを明確に示すように強いられている。まだ性的にじゅうぶん発育しておらず、自分が何者で何を欲しているか自分でもはっきりとわかっていない時期だというのにだ。いずれ恋愛体験や性体験をするかもしれないだろうに。まわりから女らしさに欠けると思われた若い女性は、臆面もなく訊かれるようになった。「あなたはトランスジェンダーなの?」」

 

「思春期は誰にとっても試練のときだが、とりわけ女子にとってはそうだろう。生理痛と膨満感とニキビが同時に襲ってきて、自分の身体なのに自分ではどうにもならないと思い知らされる。なぜ、激しい痛みや突然の経血といった困惑と警戒心をもたらすためとしか思えない花火を打ち上げるのだろうか。それがもっともこたえるのは、思春期に突入したばかりの少女たちだ。」

 

出版社や書店、購入者への脅迫が相次いでいる本を購入しました。

批判者は「デマばかり」「ヘイト本」などと言っていますが、ここまでのところそういう記述は見られないです。

・「デマばかり」と言っている人が具体的にどの箇所がデマなのかと聞かれた際に、誰も解答しない。

・アマゾンで低評価をつけている人がほぼ全員購入履歴無し。

など、批判者側の根拠が問われている状況だと感じる。

 

「医療本」と言っている人がいたが、別に医学書などではない。

ジャンルとしては医療スキャンダルに関する

取材に基づくノンフィクションといったところか。

 

思春期に自分のアイデンティティについて悩む経験は誰にでもある。

そのアイデンティティの揺らぎに対して

さあ投薬しろ、手術しろ、というのは子どものためになるのか。

 

賃労働も婚姻も飲酒も契約も自分で判断できないからと、

法的に規制されている年齢である。

アイデンティティについてだけは自分で判断できるのか?

十代のアイデンティティがゆらぐのは普通なのに、

ジェンダーアイデンティティだけは揺らがないのか?

そこにどんな根拠があるのか?

 

いろいろと疑問が湧いてくる。

そして、それらの疑問を口にしたらどう言われるかも知っている。

「質問をするなんて差別だ」

『DVはなおる 被害・加害当事者が語る「傷つけない支援」』日本家族支援センター編 3

(加害経験者)

「世の中には家族観葛藤がエスカレートし、不幸にも殺人事件や自殺につながったケースも数多く報道されますが、私から見れば「きちんと双方の言い分を聞き、公平公正に仲裁してくれる機能がどこかにあれば、どれだけの事件が防げたのだろう」を思わざるを得ません。」

↑これは怖いです。殺人事件をするような心理状態の加害者の言い分を聞いてはダメでしょう。正常な判断ができていません。クールダウンするまで引き離すことが必要でしょう。

 

(被害経験者)

「夫の私に対するDVが始まったのは結婚後2か月ほど経った頃でした。

 その頃は身体的な暴力はまだなく、私の外出先に頻繁にメールや電話をしてきて私の行動を監視・制限する、持ち物や服装をチェックする、徹夜で12時間にも及ぶ長時間の説教をするなどでした。」

 

「当時、私はモラハラという言葉を知らず、単に夫の性格が粘着質なのだろうと思っていました。夫婦喧嘩のない期間は1週間も続かないほど喧嘩ばかりの日々でした。喧嘩の原因はというと、よくわかりませんでした。私が夫の期待通りに動かない場合や、仕事のストレスがたまっている時に、夫の機嫌が悪くなり、大喧嘩に発展していたように思います。」

 

「結婚後8カ月頃には、私は夫の帰宅時間が近づくと、動悸、息切れ、冷や汗、手足の震えなどの症状が出始め、心療内科にかかりました。」

 

「結婚後1年2ヶ月頃になると、夫な私を突き飛ばしたり、襟首をつかんだり、私が家の中でトイレに逃げ込んでカギをかけても執拗に追ってきて、ドライバーでカギをこじ開けて引きずり出したりするようになりました。また、夫は「自殺する」と言って部屋にある物を包丁で滅多刺しにしたり、自分の腹や首を包丁で刺そうとしたりすることもありました。あるいは、私を車の助手席に乗せ、「車をぶつけて死んでやる」と言って猛スピードで運転したりもしました。

 それでも当時の私は、それがDVだとは思いもしなかったのです。DVという言葉は知っていました。でもDVは殴る・蹴るのことで、自分のケースがそれに当たるとは夢にも思いませんでした。」

 

「夫は暴力的になった直後、いつも別人のように優しくなりました。知り合いの家でも、私に何度も土下座として謝り、二度と暴力は振るわないと誓いました。私は今度こそ夫は変わってくれるのではと淡い期待を抱いてしまい、結局また夫の元に戻ってしまいました。」

 

「暴力の危険のある生活と延々と続く逃避行生活。どちらが苦しいのか、単純に天秤にかけられるものではありませんが、ひとつ言えるのはどちらも「苦しい」ということです。」

 

「DVとは価値観の押し付けであり、その押し付けが発生する心のメカニズムは、それまで生きてきた中で触れてきた価値観によって、身体にしみついているので、それを変えるのは容易ではありませんし、今でも価値観の押しつけに近い言動はふとした拍子に出かかってしまい、ヒヤッとしてしまうこともあります。そんな心の動きの癖というものに自分で気づいていくというのが何よりも難しいし、大事なことでもあります。」

 

本全体と通して、納得する部分も多くあるけれど一方で

最後のディスカッションで女性が一人しか参加しておらず、

発言も途中までしていなかったりと

男性中心的な視点をところどころに感じる本でした。

 

女性は女性用シェルターや女性センターなどに繋がるから

結果的に男女ともに参加できる日本家族支援センターに繋がるのは

男性の割合が高いのかも知れない。

 

加害者への加害をやめるための支援の場としての価値は評価する。

でも、どこか危うさを感じながら読みました。

『DVはなおる 被害・加害当事者が語る「傷つけない支援」』日本家族支援センター編 2

「自己の意識や無意識にフォーカスし、それを言語化して相手に伝えること、相手の言動を多様な視点で読み解くこと、などコミュニケーションスキルの向上で、問題発生を予防する、問題解決を目指すことも可能となるだけでなく、関係の改善、多様化、柔軟化をもたらし、パワーコントロールが不要な自由で対等な人間関係、家族関係を構築することが可能となります。」

「一般に「男性は理屈で考え、女性は感情で動く」と言われますが、これは脳の発達における性差が影響しているという側面もあるでしょう。」

↑これは「男性脳・女性脳」の話ですが、「本当に?根拠ある?」と思いました。

 

「メンズカウンセリングキーワード

・クライアント中心雑談療法

・あらゆる価値観からの自由

・物語の共著者・共犯者

・身体・心・魂

 他、進化論・量子論からスピリチュアルまで何でもあり」

 

「セラピーの流れ

コンサルテーション

クライアント中心療法

精神分析療法

認知行動療法

ナラティブセラピー

メンズセラピー」

 

「グループワークは万能でもないし、有効性が絶対的に高いとも言いませんが、はっきり言えるのは「DV男は変わらない、プログラムは無意味」という言説が誤りである、ということです。」

 

「異性の感じ方や考え方を、体験を通じた語りとして実際に聞くことで、自分の中の異性像が現実とは違っていた、パートナー個人の異常な特質と考えていたことがジェンダーとして異性に共有されている普通のことだったと理解することもできるようです。ですので、女と男がともに非暴力トレーニングを行う男女のグループも行っています。」

 

「DVやモラハラなどパートナーの暴力で傷ついた被害者が、加害者のコントロールから逃れて日本家族再生センターに来られます。そんな方は安全な場で、やっとその傷つきや痛みを語ることができます。

 その体験や思いを語ることで、回復が始まりますが、過去の体験や痛みは怒りに転ずるし、加害者に対する怒りや憎しみの感情も出てきます。別居や離婚で、安全は確保されたとしても、怒りの感情や突然フラッシュバックする時の恐怖や不安からは逃れられません。」

 

「子どもにあまり会えなくてつらい思いに囚われている親に、会えた時にはいい面会にできるよう、対人スキルやコミュスキル、何より子どもと楽しめるネタやら子どもと一緒に感動できる感性を磨いてほしいと思います。だから、よその子ともしっかり遊んでほしいし、自分の人生や暮らしを楽しむゆとりも身につけてほしいと願わずにいられません。」

 

ここまで支援方法の話。

加害者と被害者の直接の関係では既に支配ー被支配の関係ができていて、

感情的にならずに話しを聞くことはできないことが多い。

そこで、自分と直接関係ない被害者、加害者の話を聞くことで、

自分との共通点に気づいたり、

自分のしていた行為の加害性を見ることができたりというのは

あるのだろうと思う。

 

本人同士が直接関わるのとは違った形で

自分の加害性に向き合うことができる場というのは

加害者変容のキーポイントだと思った。

 

『DVはなおる 被害・加害当事者が語る「傷つけない支援」』日本家族支援センター編 1

警察庁のデータによれば、この10年で、夫婦間の傷害件数は漸増していますが、殺人事件は漸減しています。もともと夫婦間暴力はあったけれど、それが立件されやすくなったということだろうと思います。いずれにしても、DV防止法の施行後も防止されるでもなく、減少するでもないDVとは一体何なのか、冷静な判断をしたいものです。」

 

「DVや虐待などの家族間暴力は許されざる行為、犯罪であるとの社会的合意があるけれど、我が国の支援においてはその表面的な事象に囚われ。原因や防止対策についての理解や支援はほとんどなされていません。」

 

「巷の言説では「DV加害者は変わらない」、加害者は人格的に問題があり、教育やプログラムで変化するものではないと言われています。が、その根拠はあいまいです。日本家族再生センターでは多くのいわゆる加害者は脱暴力への変化を見せていますから、「支援がなければ加害者は変わらない」ということかもしれません。」

 

「加害者と言われる人たちは一般に外面はいい、責任感が強い、真面目、という一見、社会的には優れたタイプの個性を持つ人が多いようです。実際、他の刑事事犯の犯罪者のような社会階層との相関はなく、大学教授などの教育者、医者、宗教者、警察官など、社会的責任の大きいポストにいる方たちの割合も一定数あり、どんな社会階層の方も加害者として来談されます。その多くは決して粗暴だったり、暴力的な言動をしたりする方たちではありません。」

 

「その方たちの共通する資質は、自己肯定感が低く、役割意識、他者の承認や評価に依存する傾向が強く、さらに対人スキル、対話スキルが低いという傾向があります。」

 

「多くの加害者の心理は、脆弱な自我を家族の攻撃(?)から防衛するため、力で家族をコントロールするという、無意識領域での瞬間的な心の動き(情動)があります。これはいわゆる精神分析で言う防衛機制に近いもので、その無意識の心の動きやその結果の行動を「これは怒らせた家族が悪いんだ」と意識し、暴力を正当化します。」

 

「すべて妻の言動があったの暴力であって、暴力は悪いとはわかっているけれど、何度言っても妻が問題に向き合ってくれないので、つい感情的になってしまった……と自分の暴力を正当化する傾向があります。これが職場の人間関係であれば、問題があってもいきなり暴力にはならないけれど、そのことには気づきません。このように家族と所有の関係に縛られていることには無自覚で自分の問題とは理解できず、妻の問題に転嫁してしまいます。」

 

「DVやモラハラに耐えられず、妻が家を出たり、保護命令の申立てをした時、初めて夫は妻をコントロールできない状態に陥り、自分の問題と向き合わされます。妻にしてみれば、夫の暴力によって家庭はすでに壊れていて、夫の暴力から自分を守るために家を出るわけですが、夫にしてみれば、妻が家を出ること、離婚となることで家庭が壊れてしまうので、なんとか離婚を避けて家庭を守りたいとの思いがあり、家族、家庭に対する意識にかなり違いがあります。」

 

「非言語的なコミュニケーションについても日本人はとても不得手で、顔の表情や身振り手振りなどの態度で表現をするのも不得手。特に男性は、感情を表すのは恥ずかしいこと、みっともないことと学んでいて、感情の言葉を口にしたり、感情を態度で伝えることもとても不得手です。」

 

「そんな加害当事者に対し、「DV・モラハラはダメ」と言ったところで、わかったフリをするだけ。パワーコントロール以外の自我防衛のスキルを身につけることで、問題解決することが現実的な方法です。具体的には、自分の価値観やこだわりや癖など、無意識的なところも含め自分を理解することで、理想の自己と現実の自分の不一致が見えてきますが、自分のあるがままを受け入れるためのセラピーは有効です。」

 

とりあえずここまで。

加害者は何故加害をするのかに焦点を当てて、

加害をしてしまうような状態を変えることでDVを無くしていくという視点が

日本社会では不十分で、それができる仕組みを作る必要性を感じました。

『99%離婚 離婚した毒父は変われるか』龍 たまこ (著), 中川 瑛 (その他)

この本の最大のポイントは「和解しないこと」だと思う。

「僕は「人は学び変わることができる」と信じています。そして、それがこの傷つきの連鎖を止めるための、最も重要な考えだと思っています。暴力が連鎖するように、ケアもまた連鎖すると信じて、そのケアの始まりの場所を作るために活動しています。」

「被害者の方が、加害者を許す必要も、義務も決してありません。」

「お前の母親と別れてもこうして旅行に連れて行ってやってるんだ

 少しは楽しそうにしたらどうなんだ」

「あんたなんか毒親だって言ってるのよ」

「あんなやつ生命保険でもかけてさっさと死んでくれればいいのに」

ダブルバインドと言ってね 相談したら「自分で考えろ」と言われ

自分でやったら「勝手にするな」と言われるようなハラスメントがある

そういうことが続くと自信をなくしてしまう」

「はいはい わかりましたよ離婚しましょうね

 なぜ怒るんです?離婚、したいんでしょう?」

「ストレスが溜まって余裕がなくなると、自分の思い通りでないことが起きた際に簡単に

腹を立てて家庭で爆発してしまうとDV加害者はよく言います。

 これは、「職場では我慢しているのだから、家庭は自分の思い通りであるべきだ」という甘えが背景にあります」

「GADHAは「パートナーとの関係を取り戻す」ことを目的をしていません。それは人の意思を変えることを意図していて、他者を道具として扱うことです。」

「私も、私の父を許せません。もう顔もわからないし生きているかどうかもわかりませんけど。もし、昔の父とは変わっていたとしても、優しいおじいさんになっていたとしても、それすら知りたくない。だって許さなきゃいけないって思ってしまうから」

「小さかったわつぃは本当に傷ついたのに、その傷を一生負ったまま生きていくのに

「許しましょう」なんておかしいでしょう?あまりに理不尽じゃないですか」

「ずっと胸の中で小さい自分が怒ってた。どうせ誰も助けてくれない。誰も守ってくれない。だって、一番守ってほしかったお父さんにすら守ってもらえなかったんだから。」

主人公は2人。

DVをして離婚した父と、強い言葉で叱責を受けて育った娘。

それまで「叱ることができる俺、有能」と思っていた父が

離婚後の親子面会で娘から「毒親」と言われたことがきっかけで

虐待やDV、ハラスメントについて調べ始める。

彼は職場でも部下のことを気遣うようになり、

それが結果的に部下の成長にもつながり人望を得ていく。

こういう本を書こうとすると、どうしても作者は

「最初は拒否していた娘、しかし偶然の出会いから今の父の姿を知る。

変わった父親の姿を見て、娘も父を許し和解する」

というストーリーを作りたくなってしまう。

中川氏は自信がDVをしていた経験もあり、

そこから学び始めた人なので、

「最後は和解する」というストーリーにしたい誘惑は

相当強かったと思う。

その上でこのストーリーの中で

最後まで和解しないことを娘に選択させた。

やっぱりそこでは「和解しない選択肢」を提示しないと

行けなかったんだと思う。

「だから中川さんすごいね」とは言わない。

男性が「支配をしなかったこと」を褒めるのは

やっぱり男性に下駄を履かせることになってしまうので。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『フォビアがいっぱい 多文化共生社会を生きるために』 高山陽子編 3

3 エゴフォビア

「美魔女とBBAは、いずれも対象となる女性を見た際に、その外見に対して用いられる言葉でもある。つまり見る/見られるという関係の中で意味を作り上げていく。」

 

「外見と年齢で女性なり男性なりを判断する人は、自分も判断される対象であることを忘れてはならない。」

 

「戦後の日本では非宗教化が進み、「自分は無宗教」という人も多い。とはいうものの、何かにすがりたいという気持ちがなくなるわけではない。そこで登場するのが、パワースポットやおみくじ、占いである。」

 

「以前は「話がうまい/下手な人」「話が面白い/つまらない人」など性格の一部として受け止められていたが、現在では「コミュニケーション能力(コミュ力)が高い人/コミュニケーション障害(コミュ障)の人」などと能力として捉えられる傾向がある。」

 

「言語的差異が否定的感情と結びつく時に言葉の劣等感を覚えるのであるが、この感情と結びつき方には個人差があり、また連想ゲームのルールは変化する」

 

「「英語へのコンプレックスがある」という表現は、「英語ができない」や「英語が苦手」を意味し、コンプレックスは劣等感として一般的に意識されている。この英語への劣等感には、学習者の「英語ができないけど、使いたい」という願望が根底にある。」

 

生活保護などの社会保障制度がこの国には用意されている。しかし、制度の利用要件を満たしていても、現場から聞えてくるのは、「まだ働けるでしょ?」などと言われて窓口で追い返されたという声である」

 

「こうした状況にさらなる追い打ちをかけるのが自己責任論である。自己責任を主張する人は、失業したのは当人が不安定な仕事や雇用形態を選んだからであって、頼れる家族や知人がいないのも良好な関係維持に努めなかったからだと「正論」を振りかざす。」

 

 「自分がそれを持っていない、すなわち、「今の自分はモテてない」、「今の自分はヤセていない」と考えるときにモテやヤセという理想に縛られる。その結果、「モテれば人生バラ色!」「ヤセればかわいくなる!」という一発逆転の発想が生まれる。」

 

インセルは「不本意な禁欲」を意味するが、性的魅力に劣るという劣等感を抱く故に恋人ができない男性を指す。女性への激しい憎悪の感情は、ステイシー(魅力的な女性)とチャド(魅力的な男性)への無差別殺傷事件に発展することがある。」

 

「どうすれば劣等感から解放されるのだろうか。最初に、自分が抱えている理想や規範に妥当なものであるかを検討してみよう。ひょっとしたらその理想は実現不可能なシロモノかもしれない。」

 

ここまで読んで、一つ前のジェンダーフォビアの項目との関係が気になった。

「今の自分はモテてない」「モテれば人生バラ色!」というのと、

「今の自分は女性としてパスしてない」「パスすれば人生バラ色!」は何が違うのだろうか。

前者は捨てるべきまやかしの理想で後者は称揚すべき真の理想であると見做すとき、その境界線はどこにあるのだろうか。

『フォビアがいっぱい 多文化共生社会を生きるために』 高山陽子編 2

第二部 ジェンダーフォビア
「この世に生まれた瞬間に、医師が新生児の外性器を判別して男か女かに分類する。」

ジェンダーという言葉は、社会的、文化的につくり出される性差を、このように根源的なところから照らし出そうとするものだ。」

「男と女以外をLGBTと括り、そちらの側を尊重すると言って終わっていないだろうか。」

「「ふつう」以外も認めるということと尊重とを同じ、としていることに気づく。そこで「ふつう」は当たり前、これは何も変える必要がないものになっていないだろうか、という吟味もできる。」

(『女子的生活』というドラマに描かれたトランス女性の)「みきの自己肯定のきっかけになったのが、高校時代に見た「海外ドラマやリアリティ・ショー」である。この海外ドラマはみきが抱く女子のイメージを形成するものである。みきは、「テレビの中の女の子は、大学生という設定だった。なのにお酒を飲み、煙草を吸い、セックスをしていた、ケンカになれば相手を思いっきり罵り、腕力にまかせたバトルを繰り広げる。よく泣いて、よく笑って、よく食べて、それが、特別ではない女の子の物語として描かれていた」ということを強調し、その女性たちについて「なんて自由で、強くて、可愛いんだろうー」と感嘆する」

「男性の自殺率が高いことを踏まえて、「だって絶対、女の方が面白いもん」という一節もある」

「父親の育児を当たり前のものにするためには、例えば国や企業が共同して、母親も父親も働きやすい環境や制度を整えていく必要がある。」

「企業戦士として過酷な労働を強いられる男性の働き方を見直し、ワーク・ライフ・バランスを達成できるような取り組みが必要であるということである。」

「組織内において女性やその他マイノリティ・グループに属する人が要職に付けない状態、または彼女ら/彼らの昇進を阻む目に見えない壁を指して、ガラスの天井と言う。」

「性とは関係のない場面において、本人の意思を無視して女性をセクシュライズ(性化)し、客体として扱うまなざしは、それ自体、女性差別である。」

「お飾りとするにせよ、接待要員とするにせよ、そこには女性を独立した人格の持ち主とは認めず、男性の視線の対象として客体化する、根深いミソジニーが潜んでいる。」

 

いくつか違和感を持つ文面がありました。

「医師が新生児の外性器を判別して男か女かに分類」という文章と「ジェンダーという言葉は、社会的、文化的につくり出される性差」という文章は繋がっています。

「医師が新生児の外性器を判別して男か女かに分類」しているのは「社会的、文化的につくり出される」ものではないですよね。

トランス女性のみきが「ケンカになれば相手を思いっきり罵り、腕力にまかせたバトルを繰り広げる。」というのに共感するのも、

それは単に「男性ジェンダー」を見せてもいいということなのでは。