『フォビアがいっぱい 多文化共生社会を生きるために』 高山陽子編 1

「フォビア(phobia)には、特定のモノや場所に対する恐怖心と、特定の人に対する激しい嫌悪や憎悪という意味がある。」

「対人フォビアを持っていたとしても、必ずしも他者への攻撃に向かうわけではない。その中のごく一部がヘイトクライムを犯し、ごく一部が犯罪に至らなくてもSNS上で執拗に批判的な書き込みをする。」

第一部 ゼノフォビア
「入口はフォビアであれ、他者とのコミュニケーションから「歴史の紐」を解きほぐしていくことから始める、もしくは違和感を他者理解の端緒としていくしかない。そして、フォビアとの付き合い方、それは無関心を脱して他者を知り、理解をできないまでも自らの他者モードをつくり出すことにあるのではなかろうか」

「互いの違いを認め合いながら、対等な関係を築こうとしながら一緒に生きていくという意識を持つ人こそが、多文化共生を促進できる人である。日本人が使うことを外国人に押し付けるのは、多文化共生の考えに合致しない。」

「みなさんは朝鮮学校をご存じだろうか」「学校運営に占める北朝鮮からの教育援助費の割合は1~2%程度に過ぎない。」

「同校美術部のTwitterに寄せられたヘイトスピーチが数十枚の紙に書き上げられ、それらが縦長の直方体の三面に貼りつけられている。紙には「典型的なゴキブリ朝鮮人(ゴキチョン)だよね笑」、「おら、チョンコ!出て行かんかい!おまエラが出て行くまで徹底的にやったるわ」、「めんどくせーな、拉致犯罪者は北朝鮮に帰れよ」、「朝鮮学校を叩き潰せ」など、書き起こすだけでも相当な苦痛を伴っただろう罵詈雑言が躍る。」

嫌韓は、字義通り韓国、韓国人を嫌う感情やその感情に基づく言動を表す用語である。ただ、この言葉の主な用いられ方に鑑みると、排外主義的なゼノフォビアに表れる激しい嫌悪感や敵対心を示す場合が多い。」

ウィキペディア嫌韓記事のうち概要の差所の説明に付された脚注の中身を見ていくと(略)日本国内でび嫌韓を正当化するために、韓国メディアの記事が書かれた目的や文脈を無視した、韓国・韓国人の迷惑行為の羅列になっていることが分かる。」

本質主義(essentialism)とは、特定の人間集団(民族・人種・性別など)や事柄には変わらない固有の性質、つまり本質があると考える立場のことである。」

 

既知の内容がほとんどだったが、あらためて確認という感じですね。